[
<<<もどる
][
つぎへ>>>
]
シェイクスピア・ギャラリー
・・・その出版者ジョン・ボイデル
[
>>>ボイデルの生い立ち
]
[
>>>英国版画の成功
]
[
>>>シェイクスピア作品の美術化
]
・no.74「
真夏の夜の夢
」
・no.28「
ジュリアス・シーザー
」
【英国版画の成功】
当時英国では版画制作の技術では他国に比較して高い水準にはなく、英国の版画愛好家たちはイタリア、フランス、オランダなどの作品を買い求めていたの。そこでボイデルは自分で稼いだ利益を自国の若い画家や版画家たちを奨励するために使ったのである。その結果、英国の版画家たちはかつて到達したことがないような優れた版画技術を身に付け、ヨーロッパ各地から引っ張り凧となっていったのである。ボイデル自身も版画の制作を行っていたが、版画の販売が順調に行くようになると、版画の出版、販売に専念するようになっていった。
1761年に出版した「ナイァビ」や1763年「フェイァトン」は英国内のみならず、ヨーロッパ各地で受入れられ大好評となった。この「英国版画」の大成功は、英国の版画家たちを元気づけ、優秀な版画家の出現をもたらしたのである。
【シェイクスピア作品の美術化】
1787年11月のある日、ボイデルはロンドンのハムステッドにおいて著名人や有力者を集めて晩餐会を催したのである。このときボイデルは、才能ある英国人画家を奨励して英国に「歴史画派」を創設するために「シャイクスピア絵画」を描かせ、それを銅版画に制作して「シェイクスピア版画集」を出版することを提案したのである。この提案は皆に受入れられ、30数人の画家に150点以上の作品を発注したのである。
ボイデルは、これらの作品を展示するためにぺルメルに「シェイクスピア・ギャラリー」を開設、1789年に34点の作品が飾られ、1791年には65点、1802年には162点に達した。結局このプロジェクトのために制作された作品の総数は170点、総動員された芸術家は、画家33人と、2人の彫刻家である。
しかしフランス革命の影響で版画制作の進行は15年も足踏みをし、「シェイクスピア版画集」がその完成を見たのは実に1805年3月ことであった。
・no.47「
ヘンリ八世
」
シェイクスピア戯曲の名場面が描かれた古典版画、シェイクスピア・ギャラリー
・no04「
戯曲の女神と絵画の守護神の間に座すシェイクスピア
」
【コレクション代表作品】[一覧]
・no04「
戯曲の女神と絵画の守護神の間に座すシェイクスピア
」
・no.09「
お気に召すまま
」
・no.26「
ハムレット
」
・no.28「
ジュリアス・シーザー
」
・no.35「
ヘンリ四世
」
・no.47「
ヘンリ八世
」
・no.53「
リア王
」
・no.61「
マクベス
」
・no.68「ヴェニスの商人」
・no.74「
真夏の夜の夢
」
・no.74「オセロ」
・no.82「
ロミオとジュリエット
」
ほか
▲うえへ
[
<<<もどる
][
つぎへ>>>
]
Copyright ©
2003 European Art and Culture Co.,Ltd. All rights reserved.
email:info@yamanakas.org